誕生日の話
どうもどうも。reachです。
タイトルの通り、本日齢をかさねました。
あまり、人生を振り返ることをしなかったので、振り返りたいと思います。幼少期について。自分に向けて。
(完全に自己満ブログなので、今回スルー頂いても大丈夫ですよ🙆♂️その代わり普段見て頂けると幸いです笑)
32年前、新潟県で生まれた。
当時の話によると、母が夕方に、カレーを食べていたら陣痛が来たそうだ。
それで、すぐに病院へ行った。
生まれたのは午後10時18分。
予定日通りの出産だったと後から聞いた。
(僕、時間にはうるさいんです。笑)
その時の記憶は、まぁー、ない。
脳のメモリのどこかにはあるのだろうけれど取り出すことが難しいですね。
一番最初の記憶はいつかなー、、
たぶん3歳、4歳くらいかな。
どれが一番古いかは分からないけど、たぶん割と古い記憶の以下のことは結構覚えている。
・夜におちん○んが痛くなって大泣き(垢?汚れがたまっていたと母から聞いた)
・年中さんから通っていた幼稚園で犬のウンチを触ってしまい何度洗っても臭いが取れなくてマジで凹んでいた。
・団地に住んでいた当時、お友達の家に行きたかったのだけれど、アメシロ(蛾の幼虫)がドアに入る手前の壁に埋め尽くすほどの数を見て、トラウマ(もちろん友達の家に行くどころではない。執筆中の今もゾワゾワして身震い中)
あんまりいい思い出、ではないですね。
あ、ありました。いい思い出。
・団地のベランダに机を出してもらい母とお外ランチ。結構嬉しかったな。いつもと違うお昼ご飯で。美味しいし。
・弟をベビーベッドの柵から眺めてる(これは間違いなく2.3歳!2歳差の弟がベッドにいるのはその時期!)
後から聞いた話では、お兄さんぶって、弟の額にミルク缶を落っことしたそうな。。その後プク〜って膨れて、元に戻ったとな。。ごめんよ。弟よ。
おそらく、一番古い思い出は、上に書いたものの中の一つだろうと思います。
今こうして幼少期を思い返すと、父との思い出があんまりない。。。
あ、あった!
あれは多分2-3歳。舞台は新潟競馬場。
一人でどんどん先に進む父の背中。一人置いていかれる僕。
それが怖かったのか、どう思ったのかは、正直覚えてはいません。
ただ、場内地図?の様な大きな看板の陰に隠れて父の帰りを待っていた記憶はしっかりと残っています。
その間、知らないおじさん(多分迷子センターのおじさん)が何かを話そうと試みているけど、
僕は心を開かず。
父がタイミングよく小走りで戻ってきた、という記憶が今でも鮮明に覚えています。
小さい子供を残しギャンブルに挑む父は、ある意味チャレンジャーだと思いました笑
時は流れ、年中さんの終わる時に父の仕事の都合で、新潟市から金沢市へ引越しをすることになりました。
年長さんになり、しかも新しい土地。よくわからないまま、多分馴染めなかったのかもしれません。
そんな状況を見かねた当時の園長先生が、運動会の練習で、何故か僕だけ、行進の出し物の指揮者に抜擢しました。
なんで指揮者?他の子と同じ様に何か楽器をして同じ時間練習した方が仲良くなれるんじゃ?とおもいますが、
そうじゃなかった。
おそらくあえて、みんなを引っ張っる役割を選んでくれたんじゃないかな?と今では思います。
そのおかげもあってか、仲間外れにされることもなく、大好きな友達(こないだG.W.に飲んだ笑)もできたのは、
園長先生の粋な計いがあってこその様な気がしています。
幼少期編はそんなところでしょうか。。
他にもあったら、書き足しますが、一旦本日は締めたいと思います。
あと、10分後、本当のbirthdayです。
今年も幸せいっぱいな一年を過ごせる様に感謝の気持ちと健康に気をつけて精進したいと思います。
自己満ブログ、おつきあいいただき有難うございました。
引続き、どうぞ、よろしくお願いします。
reach